1923年4月1日~7日(嘉三14歳)

日記の表紙
実際の日記(1923年4月1日)

4月1日 日曜日 曇 

今日から学校にいかぬ。

そよと風味あり、英習字の練習をして川※ に乗りに行く町に、ハウトブックを買いにいった。

 午後算術の講義をやる。又川に行き、一人で舟に乗る。後 郡司君がやってきて一緒に舟に乗り、大いに話や人生の開鑿論に、大いに論議を争う。二時の汽車で水戸へ田村君(茂さん)が行った(病気で)。夜英語に算術の総復習。九時寝床。

※川とは涸沼川

実際の日記(1923年4月2日)

4月2日 月曜日 晴

 六時起床。作文の講義を讀む

 今日は入学式(小学校)郡司の家に自転車で行き、橧佐先生と話をする。

 明日は二の午(ウマ)祭りなので家の手傅をする。

 午後、皮に舟乗りに行く帰ったと思ったaikoさんが家にいた。

 郡司君がやってきた。湯を飲んで湯場の〇(不明)かきをはづしてしまった。

 片庭※ の人が来た。

 今日は風はそよそよ天気もうよし

 ※片庭 父亥之吉の仕事の地で、箱田とは異なる。仕事の内容は不知。

  駅前の妻とは 別居している様子である。

実際の日記(1923年4月3日)

4月3日 火曜日 雨後曇り(神武天皇祭)

今日は神武天皇祭で学校は休み。その上、二の午(ウマ)なので人が澤山でるのであったが雨が降ってきたので、人も澤山出なかった。

少し地理の講義をやる。

午後雨晴〇〇〇〇〇いたので、道はかない郡司君が宍戸の同窓会に行く。

私は行くはづだったのだが、行かなかった。天気も善くないので、気持ちもよくなく、一日不愉快であった。

四時五十分の汽車で郡司君が宍戸から帰ってきたので、淋しひ一日の不愉快をハーモニカで晴らしたが思いやうにはれなかった。

その上、かりたハーモニカ(茂君)をこはしてしまった。今日は一日善い日ではなかった

(朝5時に片庭に自転車で行く)

実際の日記(1923年4月4日)

4月4日 水曜日 晴

朝すこし地理の講義をして郡司君の所に遊びに行き、※ヤンガーブラザーをつれて川に行くと、私達愛用のボートが誰かのために無残な形になって居た。私は誰の〇〇かしらないが残念に思った。田村茂君が東京の病院に行く。

午後地理の講義をすこしやり、家で自転車にのりて遊んで居た。片庭の〇〇さんが東京から帰ってきた(六時五十分の汽車で)

私は夜、連鎖劇を見にいった帰りの夜、朧月(おぼろづき)夜なので作文につくりたかったがより文を〇る事ができなかった。

                      0時半寝床

※ヤンガーブラザー 三弟の喜七郎 

フィリピン・ルソン島クラーク飛行場にて戦死二十六歳

 昭和二十年一月十二日(一九四五年)

実際の日記(1923年4月5日)

4月5日 木曜日 雨 雪

今日は朝から通常の寒さよりさむくて、人々はよまいごとをして居る昨日ののこりの地理講義をやる。

午後理科の講義をやる。そのうちに雪が降りだしてきた。

ナイフを一丁買った。

今日は一日さむかった。

実際の日記(1923年4月6日)

4月6日 金曜日 雨 雪

朝おきると寒気は肌元にしみて、戸をあければあたりは銀世界に包まれて居る。

雪はふったが寒雪ほどさむかない。雨のやんだのは〇〇〇〇昨日の植物の〇〇りをする〇〇〇薬を取りに行った。

植物を終りなので体育に図書講義をやる。

午後また天気はやまないがはかない。

二時三十七分の汽車でWaga ai suru aiko san ga ienikaiteuta ので私は急に淋しくなった。

植物の練習をする。地理の復習をする。

実際の日記(1923年4月7日)

4月7日 土曜日 晴

朝母に起こされて床を出で天戸を開ければ驚いた。今までにない霜なので、春菊などはしおれてしまった。

土で植木鉢をこしらへた。二時になってできた。

午後益子君がやってきた。

消防の練習があった隣国と問題が起りはぐった。今日はなんの講義もよまなかった。

講をなをす事がきまって、私がなほさなければならなかった。

八幡安君に田村君の試験があたったとだまされた。

消防手の練習を見に行くとき

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