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田中嘉三についてAbout

田中嘉三(たなか・かぞう)1909~1967(日本美術院・院友)  茨城県笠間市生まれ。14才で木村武山の内弟子となり、後に数々の展覧会で賞を受賞。代表作は、昭和23年 日本美術院・院賞首席受賞の「一字金輪仏」や、58歳で絶筆となった「胎蔵諸尊」など多数。

田中嘉三(明治42年~昭和42年)

  • 明治42年

    3月2日茨城県笠間市に生まれる

  • 大正12年

    木村武山に師事のち奥村土牛に師事

  • 大正14年

    第2回茨展初入選以来毎回入選

  • 昭和5年

    聖徳太子奉讃会展「門」久邇宮家御買上

  • 昭和12年

    第24回院展「鶴」初入選

  • 昭和23年

    第33回院展「一字金輪仏」院賞首席

  • 昭和24年

    第34回院展「常陸の山なみ」白寿賞受賞

  • 昭和25年

    第11回県展「制多迦童子」文部大臣賞受賞

  • 昭和38年

    第48回院展「仏弟子」茨城県立美術館買上この間日本美術院院友、国画人協会会員、隆隆会会員、茨城美術会会員、県展審査員歴任

  • 昭和42年

    春の院展「胎蔵諸尊」出品絶筆となる

  • 昭和42年

    8月17日死去 58歳

田中嘉三(たなかかぞう)記念館は、病床で描かれた一枚のスケッチで建てられました

昭和42年5月、水戸日赤病院で胃癌の手術直後、本人には癌であることは知らせず、家族も努めて明るく、本人もそれに呼応してか「潰瘍で胃を半分取ったから、もう大丈夫。胃が小さくなったので、あまり食べれられない」と訪れる見舞客に説明しているのでした。

そんな時、枕元のスケッチブックを開いた瞬間まるでハンマーで頭を殴られたような衝撃をもって「手」のスケッチが飛び込んできました。涙と鳴咽を知られまいと病室を走り出しました。

「死」を周りの人達は知り、本人も覚り、それなのに知っている素振りも見せず、ことさら明るく振舞っている。スケッチに託した願いを、主人の遺言と悟りました。そして10年。山の木を切り、磨き、景色の佳いこの高台にささやかな記念館を建てることができました。妻と4人の子供の全てです。

奈良、飛鳥は心の古里と申していた主人を慰めるように、庭からの遠く加波山、吾国山、唐桶山の山なみと裾野にたなびく朝夕の霞。ことに夕日の美しさはため息のでるほどです。

館内には14歳の「月見観音」から、一年一作の大作、院展出展作品、58歳絶筆となった「胎蔵諸尊」や素描、愛用の品々を展示してございます。

絵を通して皆様の心に語り掛けてくる「声」を聴いていただければこれ程の幸せはございません。

どんなにか生きたいと願っているのか
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