1923年4月15日~21日(嘉三14歳)
実際の日記(1923年4月15日)

4月15日 日曜日 晴

今日は三の午(ウマ)だ。朝から人がでて賑やからしい。たしか高等学校あたりは賑やかであろう。朝、家の手伝いをして田中陶器会社でかめをもらってきた。八幡屋で遊んで居た。

重保に青木君の端書を見せてやった。

郵便やさんがきたので、私は講義録が来たのだと思ったら、そうでなかった。

今日は講義録の来る日だった。

ボール投げをして遊んだ。

歴史と地理の講義を復習する。

星野君の所にやる端書を書いた。

実際の日記(1923年4月16日)

4月16日 月曜日 晴

朝一番の汽車で星野の所に出す端書を書いて出した。

後で裏の方をかたづけて居ると、郡司君がやってきて寫真を持ってきてくれた。

私は変な様に撮ってしまった。今日星野君の所に出す端書に寫真のことを書いて出したら、今日すぐに寫真が来たのは不思議だな。

片つけてから、植木などを移植っして、井戸の先の方にうつしておいた。

仕事が終わってから町の方に行ってきた。大〇から新国民がきていた。

隣の家の方に柵をこしらいた。その前に皮に行って遊んだ。

今日こそ講義録が来るだろうと思って居たら、今日もきて居ない。

夜、新国民をよむ。十二時半ころ、町の製紙工場が焼けた。田村茂君ところから手紙が来た。

実際の日記(1923年4月17日)

4月17日 火曜日 曇

朝寝をしてしまった。

裏の垣根をこしらいた。水戸に行った仙ちゃんがきて、あってやった。

熊さんがやはり水戸の兵營にいった。今日こそ講義録がくるのだらうと思ったが、来ないので私はつまらなくなった。垣根をこしらいてから土管をふせてしまった。

製糸工場の出荷見舞の謝状がきて、原因はまだわからぬそうである。

裏の田園で槍投げをしてた。

今日はつかれたのか、昨日の十四間のレコードは破ることができなかった。

夜、歴史と地理の復習をする。

実際の日記(1923年4月18日)

4月18日 水曜日 曇

朝五時半起床、風がふいてなかった。さむい。

自転車に乗って遊んで居ると・・・・・・

裏の土管の穴の所をなをす為に畑岡にセメントを買いにいった。

ついでに郵便局で振替用紙をもらってきた。

川に行って砂をとってきた。

土管をなをして遊んで居ると、演藝館の前に出火があったが、小火ですんだ。

土中(土浦中学)にいっていた国ちゃんがきた。

三時半頃、人車の事務所で力さんに火付けをしたろう、などと言われた。

実に残念であった。今に私がえらい人に言ってみせる。

男子玉砕瓦全慨。

今日は一日蒸暑かった。

実際の日記(1923年4月19日)

4月19日 木曜日 時雨

朝から霧の様な雨が降って居た。

人車の事務所で遊んで居た。

今日は昨日に反してさむかった。

ふくちゃん等が東京にいった。

午後炬燵(こたつ)にあたりながら、紀元節に撮した寫真を熱々見ていると、三年頃の子供心にあばれた事が追憶だされて、感慨無量にたりなかった。

大塚に居るふくちゃんの子供がふくちゃんに会いにきたが、ふくちゃんの帰った後なので、片庭に行かないですぐ家に帰った。

或る人に八日の火事の時に、火薬の爆発する様な音がしたろうと、或る人にゆはれたそうだ(私は夢中のせいか気が付かなかったが)。言った人はたしか彼だろうと思う。

あくまでも私を無実の罪におとすつもりなのか

実際の日記(1923年4月20日)

4月20日 金曜日 晴

朝寝してしまった。なんだか淋しくて生きて居るのがいやになってしまった。

七郎を負ぶって田中陶器会社の事業をして居るのを見ていた。

笠間の学校の同窓杉本君に会った。

星野君の所から手紙がきた。

まちにまった中学講義が、ようやく今日家についた。

五日もおくれたので修身に国語、漢文、図書、体育、作文、習字等を大至急読んだ。

今日の所では漢文が一番くど(難)かった。

今日五時頃、自動車ポンプがとおった。きっと笠間でも一台か〇〇だろう。

共のばたを停車から持ってきた。

今日は昨日とちがって暖かかった。こんなに寒暖が暑いと病人ができてしかたあるまい。

寝から漢文の講義の習復をする。

実際の日記(1923年4月21日)

4月21日 土曜日 晴雨

朝早起きて仕事を早く終わらせ、英語の講義を半分程やる。

後で父 片庭から帰ってきた。龍吾(次弟)が清書を甲をもらってきたので、喜んで居た。

英語の講義をやる。

湯をたてる。

星野君の所にだす手紙を書いた。

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