1923年4月8日~14日(嘉三14歳)
実際の日記(1923年4月8日)

4月8日 日曜日 晴風

朝関東実業會社に行って土管をきってきた。

樽やがきて風呂場をなをした。

家で手傅をして居た。のち歴史をやった。

午後そよそよ風がふくので、道路の垢など〇〇〇〇で二時頃から強くなってきた。

八幡安君と大田さんの家の前の薪の上でかけ遊んだので、暑くなり、午後四時頃家に帰ろうとすると、停車場の方を見ると、Sadasanga Watakushi wo mite ite Ie no mae nikitemo

Watakushi wo mite Iru Ladasan Watakushi wa Ihibashi Jurunodaro の方になって風があまり強いので、大雨になっても善い様にあたりをきちんとした後に、ヤンガーブラザー等と又〇〇をかけまわってきた。

稲見屋に御風呂にはいりに行き、後歴史の練習

4月8日 わすれるな

七時三十四分頃、我が家の裏方に出火あり。出火の場所は火の気のなき所にして、

私は驚いた。僕は出火を見つけたのが早い方であったと見えて、〇〇がきた時は〇〇にすぎず、僕は井戸の水を汲みて、火を消そうとした時、井戸はこはれてしまった。それで田中陶器会社の倉庫から上武・東屋・新堀・木村屋・長屋・銀行・かどけやの倉・来栖さん・長屋・制〇所・船橋の家を焼いて町の片隅の方まで、焼けて行く。風が強いので、実にひどかった。

九時頃鎮火す。二時半寝床。

実際の日記(1923年4月9日)

4月9日 月曜日 晴

五時に起床。裏の方で騒がしひので、裏へ行くと駅の助役(豊田)という人が私の裏の方に、火を見た又、誰か井戸の水を汲んで火を消そうとした、などをはなした。僕は全て否認した。

井戸の上下したのは、僕が井戸の水を汲もうとして重い方を上げた時、竹竿が上がった。

その時竹ははづれてしまったのを見ては井戸の動いたのを見たので、水をかけたと云うのは僕は豊田助役のつけごとか、又は〇〇のせいだろうと思う。但し僕は残念に思った。

後で巡査と警察署に行きて、出火の話や、治めや〇まで書取った。そのうちに井戸の一件を部長さんが井戸の水汲みをしたと云う事をはなしたが僕はきっと助役さんが話を聞いたのであろうと思った。

今朝の事をはなさうと思ったが、めんどうになろうとおもったからはなさなかった。

又隣のおこまさんと井戸を汲んだと云うことを部長さんが話した。僕はおこまさんの表面的社交には、私はおどろいた。又七日の時の復讐だともおもう。まちがいとしなければ

Tonarino Okamasan awayakado 精佃なる警戒をようすると僕は思う。又僕は常のOkamasan no 常、平常の行いをかんが見れば machi gai to は思はれない。但し警察では

Okamasan nawa kantouto Site 僕のをHontou ta washi ni rashii 僕は警察の個室で〇こそださなかったが実際腸(腹)の中で僕はないて居た。

呼噫 おこまさんの・・・・ああ、か(書)くまい、か(書)くまい

実際の日記(1923年4月10日~11日)

4月10日 火曜日 晴

朝七時におきた。火事以来の縁側等は雑巾をかけなかったのだが、朝縁側などを雑巾をかけた。

家の〇〇隣の人等が近火見舞にいった。家で七郎を負ぶって焼け跡などを見て居た後で、刑事が家の後で写真を撮っていた時、隣の女が〇〇を開けて見た。

刑事は知らないで写真をうつしていた。

刑事が私に警察にこいとゆったので、一人で警察に行った。

古橋さんが昨日の所につれていった。しばらくたって、刑事がきて、また昨日の様にはなしだした。刑事は昨日よりも激烈であった。母さんが御菓子をもってきてくれてありがたかった。夜になって母さんが御飯を持ってきた。

母さんは事務室できかされて居た様だ。

十二時頃母さんは帰って、私はまた事務室できかれた。

そして二時頃、巡査さん等と一緒に寝た。十一時頃精神病も様な女の人がきて泣いた。

髭のしろだった巡査にうたれたのは。

4月11日 晴 水曜日

朝七時頃起きて顔をあらい小便。室で火をあたって居た。

昨夜ののこりのめしを食べたが食いたかないので、少ししか食べなかった。

小使の〇君が居た。塙君の僕は友情に嬉しかった。

又、後々きかれたが、御昼頃、かあさんがにきしめしを持ってきてくれた。

それを食べた時の心持は本当にうまかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日ははじめて家に帰った。

六時頃稲見屋に御湯をはいりにいった。

市川君と水中の誰かの所から、近火見舞のはがきがきた。

私はきっとえらい人になって見せる。

実際の日記(1923年4月12日)

4月12日 木曜日 雨風

朝起きて、市川さんの所と三輪に端書を出しておいた。

朝から雨が降って居た。

御昼頃から雨が降ったりやんだりしていた。

大川・鈴木・青木・岩本宗吉・岩本善。

東京等に端書をだした。

定期を停車場に返した。

家にきた。僕は謀られた。

〇四時頃、風が強くなって、ひどく吹いた。

夜になって、中学講義録をよんだ。

実際の日記(1923年4月13日)

4月13日 金曜日 晴風

朝七時頃起床。中学講義録をよむ。

郵便局に国夫さんの為替をやりに行った。

巡査さんがきて、出火場所あたりを計っていた。後で銚子屋でやすんでいた。

裏の方をすこしかたづけた。

夜講義録をよんだ。

八幡屋に湯もはいりに行き、重保君と学本を読んできた。

実際の日記(1923年4月14日)

4月14日 土曜日 晴

朝から裏の方をかたつけた。

お書一頃、榎並君が私より早く見つけた様なので、私は木村屋の人と一所に農学校に行き、小学校に行ってから、榎並君にすこしきいて、警察に行き大森さんに云うと思って行ったのだがいなかったので、古橋さんに云ってきた。

家に帰って裏の方を整理してから湯を立てた。そして田村茂君の所に端書をだした。 国語の講義をやる

日記の一覧に戻る