1923年5月1日~10日(嘉三14歳)

5月1日 火曜日 曇

朝、英語の練習をする。
家事の手傳いをして、午後英語の練習をして居ると、大内巡査がきて、
話し出して、英語の会話を少しして、おー〇てやる、なんて云った後で、銚子屋に行って〇(女か)と騒いでいた。
英語を少し練習して遊んで居た。
夕方おこまさんが焼跡を見て居て二人ばかり家に来た。

5月2日 水曜日 晴

朝、英語の練習をする。
犬を一匹かってやった。
午後英語練習をする。
一人きた。

5月3日 木曜日 雨

朝、英語の練習をして居る。
雨が降ってきたので、学校に弟等の傘を持って行ってきてから、算術の練習をする

5月4日 金曜日 晴

作文を読む。
午後三時半頃、学校にオルガンをひきに行く途中、重保君が帰ってきたので、共に学校に行かないで帰ってきてしまった。
木村屋の人の話によると、吉原の方の人が八日火事の火元はわかったそうだ。
田中小憎が豚小屋に〇〇をつけていったのが火元だそうだ。
そして、豚小屋はたしかに俺が行ったときはあったと云うたそうだ。
但し、豚小屋は四五年前の事がそう云った人がきたのも、四五年前の事だそうだ。
田村君の所からはがきがきた。
真壁の叔父さん※がきた。

※田中政吉さん、亥之吉さんの弟

5月5日 土曜日 晴

朝、すこし英語の練習をしてから、学理はどうしてできるか?
〇〇〇〇〇よんだ。
なるほど学問は平凡な所からできるのだ。
田村君の所、端書をだした。
水車を〇てしらいた。

遊んで居たお婆さん※が家に吊で福原に行った。
真壁のニヤちゃんがきた。

※お婆さん 田中嘉乃さん

5月6日 日曜日 晴

朝八時三十分で真壁のニヤちゃんが行った。
舟をこしらいたのだができなかった。

5月7日 月曜日 曇

朝、すこし舟をつくっていた。
古町に行った。
午後八幡で重保君と遊んで居る。
小林君が種々おかしな事をしゃべったので、大笑いしてしまった。〇〇〇
夕方大川さんに行きながら大森さんに会った。
苗ちゃんにきいた話をした。
大町に行ってきた。

5月8日 火曜日 雨

朝から雨が降ってきて、愛宕山に行かなければならないので、
十時三十分の汽車で岩間に行って雨の降るのをいとわづに、あの高い高い愛宕山に登った。
一番先に登った時の心持は嬉しかった。
思はず萬歳をさけんだ。
二時半の記者で帰ってきた。

5月9日 水曜日

細雨が降りそうであったが降らなかった。
昨日の紀実文を書いた。
舟をこしらばしまって、郵便局に茂君の所にだすカハセをだしてきた。
停車場で怪しい人が巡査や刑事に調べられていた。
助川さんがきた。

5月10日 木曜日 晴

朝、船をこしらいた。から ドヂャウ(泥鰌)とりをした。
建具屋が帰った。
昨月の今夜だっけな。
警部補に「おまいがやったんだっぺー」なんて云われたのは、今夜の二時頃だっけな。
今に見ろ。地位的に
復讐をしてやるから。

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