1923年6月11日~20日(嘉三14歳)

6月11日 月曜日 曇

朝、四時二十分起き。下げ針をあげにいったら、昨日盗まれた一本はあって、
朝一本ぬすまれた。二ぴきとれた。
上りの一番(列車)で母が羽黒(実家)に行った。学の友を○○した。
田中屋の立舞(建前)なので、行かなければならないのであったが、
一人なので行かなかった。二時母が帰ってきた。立舞(建前)でもちを八十ぐらい
拾ったり、もらったりした。
〇舟遊び〇がきた。下げ針をかけに行ったものの、橋ぎわになんとなく、隣〇つな日で
あった。

6月12日 火曜日

泉水を福原の人にこしらいてもらった。
朝、うなぎ一匹。
川田 下げ針をかけに行った。

6月13日 水曜日

なまづ(鯰)一ぴき
川に、しの(篠竹)を取に行った。
○○の手?をやった。
今日も泉水をこしらて、できなかった。
学の友を発行した。
夜、さげばりを懸けてから
夜、釣りに行き、一匹も釣らない。

6月14日 木曜日 晴

朝、なまづに、うなぎ合計三ぴきとった。
堀を乾して鮒を取った。
講義録が〇きた。
夜、さげばりをかけに行く。
裏の大工さんと、夜、修身と國語を読む。
朝、七郎※1病気の様だ。
浅草※2から端書がきた様で、浅草は○○んが引受る様な事が書いてあった。

※1ー七郎 十歳下の喜七郎四才
※2―浅草 向島の亥之吉の兄、寺腰新太朗

6月15日 金曜日 晴

なまづ○○うなぎ二ぴきの所、裏の大工さんに一ぴきもらった。
〇〇〇がとう※(胴)を買ってきた。
堀を乾したが一匹もとらなかった。
今日は川田君を呼ばないで、さげばりを懸けてしまった。
國語に作文、英語をすこしやた。
立花君作文を持ってきた。

※竹で編んだ筒状の漁具 荃(うえ・ど)

6月16日 土曜日 雨

午前十時頃、腸(腹)が痛むので、今日起る事ができないと思ったのだが
すぐなをつて、起きる事ができた。
さげばりは零。一ぴき大工さんのもらった。
朝から雨が降ってきた。
入梅なのかな。

6月17日 日曜日 雨

朝又雨が降り続いて居る。
さげばりで二匹とった。大工さんに一ぴきもってた。
英語の練習をする。
八幡屋で遊んだ。
さげばりをかけに行った。大工さんが行かなかったので、一人でかけに行った。
Penで足をけがした。
吉田先生、行き会った。

6月18日  月曜日 晴

朝一人でさげばりをあげに行き、二本とった。
桜?町で御婆さんを呼びにきた。
母がかわりに行く。船橋の〇を持って行く。
あまりあついので、川に水泳に行〇〇十五?度。
檜佐君にあった。しかし私の〇さげばりをかけた。
学の友の発表をした〇〇。

※御婆さんー田中嘉乃さん

6月19日 火曜日 曇

朝、〇〇〇とさげばりを上げに行った。
なまず一ぴき。井戸を〇をした。
七郎がよくなってきた。
夕方、裏の方を片つけて、後で川に父とさげばりをかけに行く。
夜、父と大観や武山の住所などを話した。
英語の練習、歴史の練習をする。

6月20日 水曜日 晴

さげばりは零。
十一時二十三分で賀陽の宮様がくるなどと、云って居た人があったので、
迎に行くと十一時二十三分でなくて、十二時半頃〇〇〇くる相だ。
中将や少将などが大勢きた。
一時頃、宮様がきた。色の黒い〇太子にすでに〇〇〇て居る様だ。
いかにも軍人らしい人だ。
学の友のをやる。
余興にぐじをつくった。
水泳に行く。

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