1923年7月21日~31日(嘉三14歳)

7月21日 土曜日 晴

どぢうをトってきて、英語の練習。
水車でうどんを買ってきた。
午後成田君と水泳に行く。
夜八幡屋。
トランプをやって遊んだ。

7月22日 日曜日 曇

朝、ドウを上げてきてから英語の習字をして、田村君の家で遊んだ。
水泳に行き、雨雷。
真壁の叔父さん※がきた。
水戸の益三がきた。
雷が鳴りだした。
夜になっても鳴りつづいた。

※真壁の叔父さんー亥之吉弟。田中政吉
 眞一の子供の頃、母ミツの話では真壁のおじいさん(亥之吉)は
「仲が良くて馬に乗って笠間に来る。昼間から二人でお酒を飲む。夕方酔って馬の背にゆられて、真壁に帰る。馬ってなんてお利口なんだろう」
印象的にこの話を憶えている。

7月23日 月曜日 晴

朝、ドウを上げに行くと、ドウが一つなかった。
清水屋で〇〇うぃ買ってきた。
ドウをかけてきた。
午後役場に行ってきた。
後、水泳に行き、氷をかいてのんだ。
古町の金田屋で片庭の太田さん※の名で浴衣を三反持っていった者があったので
私の家にききにきた。
夜さげばりをかけてきた。

※片庭の大田さんー亥之吉さんがこの材木屋の帳づけをしていた、と耳にしている。
 駅前の家も大田さんの材木で建てたと聞いた。

7月24日 火曜日 晴

さげばりを上げてうなぎを取った。
帰り、なくなったドウを見つけた。
母が役場にいった。
成田君と水泳に行き、青木君にあった。
後、田村君、筑波まで無銭旅行の話がでた。
夜八幡屋、将棋をやった。

7月25日 水曜日 晴

朝、店で氷屋〇〇〇〇で夜〇をなおした。
川に行かうと思って堀にきてみると、金魚がいたので、〇〇〇とった。
瀧本の叔父さん※がきて和田君〇り〇にいつた。
夜、八幡屋で将棋をやって遊んだ。

※瀧本トクさんの夫

7月26日 木曜日 晴

朝、ドウを上げてきてゼロ。
八幡屋で遊んだ。
籚花文集を読んだ。
川に水泳に行った。
行軍将棋をしてから学の友の優等をきめた。
又八幡屋で行軍将棋をやった。
真壁に端書をだした。

7月27日 金曜日 晴

朝、氷屋※に氷を取りに行った。
今日は片庭。夜更かしをしたので、寝(眠)ったくてしかたがない。
八幡屋の買出しなので、成田重保とは川には行かれないので、一人で川に水泳に行った。
後、また晝寢(昼寝)をしていた。
停車場で新聞をよんできた。
夜、金歯棲で浪波節をきいた。

※氷屋―弁天町の松田氷屋

7月28日 土曜日 晴

朝、工場におがくず※をもらってきた。
國夫さんが東京に行った。
父がどこかに行った後、水泳にいった。
夜大橋屋で遊んだ。
水戸に行った。

※おがくず 多分氷の保存用の為か

7月29日 日曜日 晴

八幡屋で遊んだ。
松田氷を取ってきた。
太田重ちゃんが帰ってきた。
川に水泳に行く。
龍吾(次弟)が片庭に行った。
夜田村君〇〇〇の活動を見にいった。

7月30日 月曜日

朝、八幡屋で遊んだ。
今日は龍吾も妹もいないからさみしいな~
田村君から肉弾※をかりて読んでいた。
後、田村君と或田君とで川に水泳にいった。
家の統計表をこしらった。
後、雷がなりだした。
夜、大橋屋で山本さんと二日に山に行く事に定めた。

※「肉弾」旅準実践記 櫻井忠温著 初版明治三十九年四月
 (眞一は三年前二〇一八年初めて読んで感動の一冊だった)
 世界的に評判。刊行数年で千版の驚異の増刷。
 英・独・仏・伊・中国語・スウェーデン語・ノルウェー語・ギリシャ語・ロシア語・など、十六か国で翻訳された。
 米国のルーズベルト大統領は二人の息子に読ませた。
 ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世は全連隊に配布した。
 英では陸軍士官学校の教育服読本とされた。

7月31日 火曜日

朝、肉弾の本を読んで、川に水。
夜八幡で太田君子らに会った。

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