1923年8月21日~31日(嘉三14歳)

8月21日 水曜日 晴

今日は算術を朝からやり始まって夕方までやってしまった。
山本さんは朝から山に出かけた。
田村君くるのも
明日がな~

8月22日 木曜日 晴後雨

今日も算術をやった。
田村君がくるのでできなかった。

午後讀方の復習をして、又地理と算術をやった。
雨が降ってきたので、山本さんが早く帰ってきた。
障子を外に出して雨に打たせた。

小見にきて一週間になった。
なんだか家に帰りたくなってきた。

8月23日 金曜日 晴

今日こそは田村君等がくるかと思ったせいか、算術を讀方もできない。
十時半頃、途中まで出迎にでていたがきない。はてなあ~
いよいよもってきないのか。

官舎にきてみると、田村君の所から端書がきて居る。
文面は「珍客がきて、手放なしがたい」。
なぁんだい、どうりできないと思ったのだ。
はて珍客とは誰れなんだろうなあ~
新聞で最新式の潜水艦が淡路島の沖合で沈没した。

8月24日 土曜日

今日は朝帰ろうと思ったが、用ができて帰れなかった。
障子を洗った。
二時の汽車で帰って墓に行って、東京の人や水戸の人がきて夕方帰った。

8月25日 土曜日

今日は田村君、町から自転車をかりて町に山本さんにたのまれた物を買ってきた。

8月26日 日曜日

真壁の信一君がきた。
伴に渇望を見に行った。

8月27日 月曜日 晴

朝八時で行こうと思ったが行かれなかった。
夕方の三時頃、吾国山登〇でやってきた。
官舎についたのは七時頃だった。
田村君の所に端書をやった。
きながら地図を画いた。

8月28日 火曜日 晴

朝署長がくるので、〇はきをやった。
畳を上て、山本さん等が行こうと思った時、署長がきた。
浅野さんに水瓜をもらって食べた。
行ってから算術をすこしやってから本をよんで過した。
晝から晝寝をしようと思って、眠る事ができなかた。

隣の人と将棋をやって遊んでいると〇〇〇のひとがきたので、
畳を〇収めて掃除の終わったのは、五時であった。
そうだべ~。おらもずいぶん階降〇にくだびれた。
夜大塚と云う所に芝居を見に行った。

8月29日 水曜日 晴

朝すこし重保君の算術をやった。
午後算術をやって遊んで居ると田村君が自転車でやってきた。
算術はやめて遊んだ。
今日も芝居があるが行かない。
明日は帰るのだ。
なんだかいやんなっちゃった。

8月31日 金曜日 晴

今日は山に行って見様と思って出かけた。
大塚から上りはじめて、足尾山に登り、お宮にお詣でして、
加波山に行こうかと思ったが、足と暑さが云うことをきかない為に、
一本杉から帰り始めた。

足尾山で真壁の東光社※が見えたので、行ってみたいような心持がした。
官舎に帰ってきたのは、一時頃かと思う。
それから晝寝をして三時頃おき、梨を一つたべた。

湯は隣の人がは(わ)かしてくれたので、せは(世話)なかった。
大分足が疲れたと、よまい(世迷)事を云っている。
明日帰る仕たくをした。

※真壁の東光社―田中政吉さんの会社らしい。住所録には真壁町東光社とある。

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